一昨日、中田さんが亡くなった。

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彼と初めて会ったのは今から十数年程前、
水をテーマにしたモニュメント制作の時だった。
千葉市公民館のコンペで私のデザイン画が運よく採用され
制作することになった。
その制作過程で、人を通じ中田さんを知ったのが初めだった。
その時の制作日数は三ヶ月程だったように思う。
(当時のモニュメント写真を探したが残念ながら見つからない。)
比較的単純な幾何学的形態のモニュメントだったが、
平面での像化作業と実際の制作では勝手が違っていた。
そこで、製作意図を含め、何枚かのスケッチや、
詳細寸法も入った図面で打合せを彼と何度も行った。
ある時、彼から、「今、石を切り出した所だが、
立体造形上図面のようにはどうしてもならない・・・」
と電話があり、すったもんだしてしまった。
結局、電話では埒があかず、その日の夜
美山町のアトリエにお邪魔することになった。
その日は台風が来ていて天候が大荒れ、特に雨がひどく、
おまけに美山町(村?)といっても八王子郊外の山奥で、
道がわからず、ずぶ濡れになりながら何度も迷ってしまった。
おまけに携帯などなく連絡も出来ず遅れに遅れてしまい、
時刻は夜半過ぎになっていた。
それでも彼は、仕事場でニコニコしながら迎えてくれた。
「問題は、水の分子は104.5度傾いている。
そこから、その傾きを石の中に表わした場合
全体の造形の最初の傾き度が・・・」
と他の人が聞いていたらチンプンカンプンの事だった。
制作途中の作品を目の前にして、お互い真剣だった。
水をテーマに、ある意味新鮮で楽しい会話だった。
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水紋は平面でさえ像化しようとしてもなかなか思うようにならない。
自然の造形作業の方がすぐれてドラマチックだからだ。
それを中田は石という日本人のある種祈りにも通じる素材で
水紋の造形美を追求してきた。
石にある瞬間を閉じ込める静止した時間。
あえて空間を捨象したかのような、水紋の像化作業。
中田にとって水紋とは、幼い頃から
経験した温かい時間であり空間でもあった。
それを石に刻み続けることで、
遠い水の記憶を辿ろうとしてたように思える。
中田さん
もういいんだよ
ゆっくりと休んでください。

松橋 博    2008年7月15日
        昨年の「中田浩嗣・石の彫刻展」
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