帝銀事件 70 周年 故 平沢貞通画伯執念の獄中画展
2018年 1月23日(火)~2月4日(日)  11:00〜19:00
このうち帝銀事件発生当日70年1月26日(金)は17:00までとし、
近くの文京区立不忍通りふれあい館にて記念集会開催(※詳細は下記をご確認ください)。

★平沢貞通さんが、戦前からの有名な画家であったことは広く知られているが、
獄中で執念の絵画を描き続けていたことは、帝銀の支援者のあいだ以外には
いまだ浸透していないと言える。
逮捕前の平沢さん(大暲)の絵は、北海道などの広大な風景画(テンペラ・水彩)
が多かった。獄中の平沢さん(光彩)は写生もままならないなかで、さまざまな
絵を描いている。今回の展覧会においては、「作風は変化した」をコンセプト
として、獄中の執念を感じさせる絵を展示する。
確定死刑囚としては異例なことだが、獄中の平沢さんに対して家族や支援者は
画材を差し入れて画業を支援した。1950年代後半から1980年代前半に制作され
たと思われる。だが鉄格子を描いた絵は宅下げを許されず、平沢さん獄中死のあと
遺族に渡された。そのなかには、鉄格子の内側に凛と咲く真っ赤な花が描かれた
『獄窓の花』があり、格子窓の外側に蹲る男とその近くに立つ赤子を抱く女を
描いた『うずくまる貞通』など、執念を感じさせる作品があった。
薄れゆく記憶を振り絞って描いたに違いない愛娘の顔を描いた『霞中娘』もある。
『猫怒る』『白い猫』は自己の感情を猫に仮託したものだ。

出展作品について(会場でも配布しています)
帝銀事件・獄中画展解説

★戦後冤罪史の原点 帝銀事件70周年記念 集会
2018年 1月26日(金) 18:00〜21:00
会場 :文京区立不忍通りふれあい館(文京区根津2-20-7) ※東京メトロ千代田線「根津」駅より徒歩約3分
主催 : 帝銀事件再審をめざす会

【プログラム】(司会:三角 忠)
○再審弁護団報告(20次再審請求の補充活動)
毒物関係:渡邉 良平 弁護士 / 「自白」関係:酒田 芳人 弁護士 ほか
○鑑定人の講演
犯人特定(似ている)目撃者の供述根拠は何か:原 聰 駿河台大学教授
ディスコミュニケーション論理による判決批判:山本 登志哉 ㈶発達支援研究所所長
帝銀事件の取調べ「検事聴取書」分析    :浜田 寿美男 奈良女子大名誉教授
○連帯挨拶 等

【その他】
新証拠・新鑑定のためのカンパをお願いします。
郵便振替:00150-9-386611「帝銀事件・平沢貞道氏を救う会」

帝銀事件年表・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1948年 1月26日 帝国銀行椎名町支店(豊島区)で本件発生
1月27日 安田銀行板橋支店で帝銀の小切手交換
7月17日 別の容疑者逮捕、自白するがアリバイ判明
8月21日 名刺捜査班が小樽で平沢氏を逮捕
8月26日 高木一検事による取調べ始まる
9月 3日 別件私文書偽造等で起訴(日本堂事件)
9月23日 帝銀事件の自白始まる
10月12日 帝銀・安田・三菱各事件で追起訴
12月10日 第1回公判、平沢氏否認
1950年 7月24日 東京地裁で死刑判決
1955年 4月 6日 最高裁で上告棄却、直ちに第1回再審請求
1962年 6月28日 「平沢貞道氏を救う会」(森川哲郎氏ら)
11月24日 平沢氏宮城拘置所へ、死刑執行せまる
1963年 1月26日 獄中画の第1回展覧会
1964年 4月12日 日活映画「帝銀事件・死刑囚」
1969年 2月10日 再審特例法案(占領下死刑確定者に再審)
7月 8日 法務大臣が特例法案でなく恩赦をと言明
1981年 1月29日 森川武彦氏が貞道氏の養子となる
1985年 4月29日 貞道氏仙台から八王子医療刑務所に移送
1987年 5月10日 貞道氏八王子医療刑務所で病死(95歳)
1989年 5月10日 第19次再審請求(平沢武彦氏)
2013年 8月20日 平沢武彦氏死去
2015年11月24日 第20次再審請求(貞道氏直系親族)

平沢貞通 SADAMITI HIRASAWA ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1892年 東京市生まれ。
1911年 東京水道橋の日本水彩画研究所に入所。
1912年 旧制小樽中学校(現在の北海道小樽潮陵高等学校)卒業。
1913年 日本水彩画会結成に石井柏亭・磯部忠一らとともに発起人として参画。
1914年 第1回二科展で「昆布干すアイヌ」(水彩画)初入選。この年、「日本水彩画会小樽支部」を創設。
1919年 第1回帝展で「野火の跡」(水彩画)初入選、以後、16回出品し、無鑑査となる。
1921年 第9回光風会展で今村奨励賞を受賞。
1928年 「日本テンペラ画会」を岡田三郎助らとともに創設、後に会長となる。
1930年 日本水彩画家会委員に就任。
1948年 帝銀事件容疑者としで逮捕される。
1987年 5月10日死去。享年95歳。獄中で描いた絵は色紙、絵手紙を含め5千点余におよぶ。