巨涛
9月に帝銀事件から60年、獄窓の画家・平沢貞通展を開催した。
貞通が帝銀事件死刑囚として、無実を叫びながらも、
無念の思いのまま獄死してから今年で21年目であった。
彼は薄暗い獄中で、刑の執行の恐怖と闘いながら遠い記憶をたよりに、
ひたすら故郷北海道の風景を死ぬ間際まで描き続けた。
その獄中画の中に「巨涛」(1970年作)という作品がある。
貞通78歳、逮捕後22年目の作(写真)である。
彼は風景を描くとき、必ずと云っていい程、
水平線を強く意識し、海の景色にも山の景色にも、
重要な要素として画面に描いていた。
しかしこの獄中画「巨涛」には水平線がない。
波も空も荒れ狂う様を描いてる風景画だ。
荒れた空と波が渾然一体となって、見る人の意識を不安にさせる。
その反面、手前の大地は青々とした緑色で描かれ、
所々土肌が露出しているが像化作業にはリアリティがある。
画面右手奥から小高い岩肌の岬だろうか、
そこに白い灯台がくっきりと描かれ、
荒々しい海と空に毅然と挑んでいるかのようだ。
だが、この絵には水平線がない。
従来の貞通なら描いていたであろう水平線がないのだ。
絵を描きながら貞通の意識は激しく動いている。
せっかく釣り合っている海と空をわざわざ不安定にしている。
いや、荒々しい波と空の景色を一体に描くうちに
水平線が意識されなくなったのかもしれない。
水平線は描いている者にとって目の高さになる。
例えば、画面上下の中央に水平線が来るとき、
作者の目の高さは同じ中央にあってその風景を描いている。
水平線が画面のもっと上にあれば、すなわちバードビュー(鳥の目線)
に近づき、画面には陸地の要素が多くなる。
反対に、水平線が下方になれば空の要素が多くなるというわけだ。
仮に、この「巨涛」の作品に水平線を想像した場合、
画面上下のほぼ中央になるだろう。
陸地の要素と空の要素が丁度つり合った処に水平線が来ると思う。
獄中での貞通は絵を描いてる時、決して孤独ではなかったように思う。
出来上がりつつある絵と毎日対話しながら、
自らの作り出すイメージの流れにそって筆を執り、
描くことを続けながら、彼はこう会話していたに違いない
「そろそろだな、うん、もうそろそろだ。もういい・・・
丁度いいころあいだ・・・そうだもう筆を置くことにするか・・・」
この絵は初めから水平線がなかったのだろうか、
それとも描いていくうちに水平線が希薄になり、
荒れ狂う波に同化した意識が
水平線をなくしてしまったのだろうか。
逮捕前、貞通は故郷北海道で同じような海景を何度も目にし、
水平線や地平線の在る風景画を多数描いていた。
しかし、獄中では実際の風景を見ることなしに
ただ遠い記憶のみを頼りに描かざるをえなかった。
それは貞通にとっておおきな不幸であった。
獄中でなおさら貞通は風景画を描きたかった。
かって訪れたであろう北海道の海景であり山や川、大地などを。
記憶を辿る風景の像から意識はだんだんと変遷し、流されていく。
出来上がった風景の像化作業から自身に突きつけられたイメージの力は
新たな作業をうながし、変遷しながら繰り返される。
獄中という制約の中、描く強度を高めながら一歩一歩進められ
95才で他界するまで描いた作・は3千点余になった。
獄中で絵を描くということは、どういうことだろう
無実を訴え続けた貞通とは異なるが
例えば田中政弘(東京拘置所在監)は次のような事も語っている。
「・・・ 私は何を勘違いしているのだろう”と思ってしまいます。絵を描いたからといって、罪の償いには決してなりません。我々獄中者が絵を描いているのは、飽くまでも自分の主張したいことを言葉ではなく絵によって伝えているだけのことであり、絵を描くことによって罪の償いをしているなどと思うことなど、おこがましくて考えるだけで恥ずかしくなりま・す。私はそう思います」
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言葉ではなく絵によって伝えたいことを
描くことの不自由な獄中から自主独立したイメージを
絵画の中へ定着し表現の高みへと誘う何か
貞通が獄中で3千点余を描きつづけ、
獲得していったものがあるとすれば
それは、描きたい風景の記憶だけを頼りに
絶えず像化作業が繰り返される事で、自ら変容する
イメージの了解の連鎖であり、そして、その事で得られた
ある種の充実感や解放感であったのかもしれない。
松橋 博
つづく
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「小ねこチビンケと地しばりの花ー未決囚十一年の青春」
(著者荒井まり子)という本がある。
もう絶版になっているが、二十三年ほど前、径書房から出版された。
1974年連続企業爆破事件で爆発物罰則違反のほう助罪に
問われた著者が獄中生活中に結婚した夫、彰さんとの文通形式で回想した本である。
宮城県古川村の中、高校時代、大学入学と学生運動、
中退、短大再入学、爆弾テログループと東アジア反日武装戦線
”狼”とのかかわりなど「全共闘世代」の人生やながい拘置所生活が
ありのまま素朴な文章でつづられている。
そして丸木スマ「母猫」の表紙絵とともに著者自ら
描いた21枚のさし絵があり、これが文章にマッチした
繊細な美しい線描で描かれ、できばえがすばらしい。
黒ボールペンだろうか、ところどころにインクのたまりや
かすれがあるが、丁寧に一本一本の線を大切に扱っており、
作者の優しさが見る者の心に響く。
獄中では絵を描く制約が多くいわゆる獄中絵画様式と
いうものがあるそうだ。東京拘置所の場合黒、赤のボールペン、
黒のサインペン、それに筆ペンとシャープペン。
最近はそれに青のボールペンが加わり、
これを東京拘置所様式というのだと。
まり子さんのさし絵を見て色鉛筆ぐらい使って描かせ
たかったなと思うのは私だけではないだろう。
それほど、さし絵がすばらしい。
おおくの獄中画には、緻密に線を積み重ね描かれたもの
が多い。線と線の間隔がなるべく重ならないように、平行に
出来るだけ間隔を狭く線を描くか、または重なってクロス
する場合でも、丁寧に気をつけて、決して投げやりな線描
にはならない。
なぜだろうか?
「獄中では時間があるから・・・」という。
しかしわたしにはそれだけとは思えない。
絵を描き始めたころ、物を再現することに一生懸命になる。
写真みたいに出来上がるとうれしいもの。繰り返し模倣する
ことから次第に技術は上がり表現の扉が徐々に開かれていく。
そして、重ねて描くうち集中度が高まり像化作業の中で
ある種の解放感を得られるようになる。
やがて、自分が表現したい一番のものを探し出し絵の中心に置いていく。
心地よく収まればまた次の解放感が得られ、次々に重畳
する線描から新たなイメージの連鎖がおこる。
わたしたちが見ている獄中絵画とは、これらさまざまな
段階にある作者たちの心の中そのものなのだと思う。